デイゴホテルの歴史

デイゴホテル1966年現在地にシングルルーム18室のみの小さなホテルが、創業者の宮城聖(故人)によって設立された。

 当時はベトナム戦争の最盛期で、戦地へ向かう多くの米兵が嘉手納基地を経由するが、その頃の沖縄市(当時コザ市)のホテルのほとんどがそうであったように、弊館もその中途宿泊ホテルとして多くの軍関係者に利用された。

 先代社長の他界後その妻である宮城タカコ(現会長)が社長に就任するが、ベトナム戦終結後は家族ルームを増築、引き続き嘉手納駐留米軍関係者およびその家族の利用で経営も安定し順風満帆のように思えた。

 しかし1980年代に入ると国策により大規模な基地内ホテルの建設が相次ぎ、米軍関係の基地外(市内)ホテルへの利用が激減、苦しいホテル運営を強いられる日々が続いた。

 弊社はこれを機に一念発起、営業方針を大幅に変更。米軍との契約もあえて更新せず、米軍中心主義から観光客およびビジネス客の獲得、合宿の誘致、飲食部門の強化と「上質のB級ホテル」を目標に掲げ、研究と試行錯誤を繰り返しながら実現に向けまい進した。

 近年の沖縄観光ブームと、1987年開催の沖縄海邦国体の主会場(沖縄県総合運動公園・沖縄市泡瀬)としての地の利と時期の良さが味方し、業績は堅調な伸びを示し何とかいい時の業績に近づいてきた。特に日本陸連をはじめとする冬季のスポーツ合宿の伸びが目覚しく、以前オフシーズンであった1~3月期が今や一年を通じてトップシーズンになった。そして予測できたことだが米軍関係の売上げは全体の1パーセントにも満たない。

 手前味噌だが、何とかここまでこられたのも一時の苦しい時にもあきらめず新たな顧客を模索し続けたことと、米軍御用達時代のよい物を残し、なおかつ背伸びをせずにB級ホテルなりにお客様の二ーズにできる限り応えたことだと思う。今後もこの精神と姿勢を堅持しつつお客様に感静されるホテルへと発展し続けたい。

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